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和の仕事師たち ~伝統の技を科学する~ 角材を縦横に組むことによる京ならではの美と機能格子とは、都市生活のための知恵と技術の結晶

取材協力: 京建具製作 株式会社トクダ 会長 徳田敏昭氏

京都らしい町並みと表現されるとき、その中に必ずと言ってもいいほど登場する格子。京の建築的シンボルとなっている、趣ある京町家はもちろん、新たな建築物にも取り入れられてきた智恵の結晶でもある。格子のシンプルな装いに秘められた意味と役割とは、どのようなものか。京都迎賓館など数々の日本文化を象徴する建築物に確かな技を提供してきた株式会社トクダ徳田敏昭氏に紐解いてもらった。

京の歴史とともに歩んだ格子、始まりは防犯が目的

格子の誕生は、京都の歴史と京町家の起こりに密接にかかわっている。平安時代、貴族たちの住まいだった大小の通りに面した場所を人々が商い用に買い取ったことが始まりだという。「店家」と書いて、「まちや」と読んだ時代だ。芥川龍之介の『羅生門』にあるように、平安末期は飢饉や天変地異に端を発し、京都は荒れた時世に入る。略奪や狼藉が横行し、店を営業する人々は特に自衛の必要に迫られることになる。そんな時代背景の中、「外と内を分ける格子は、防犯の目的で発生したもの」と語る徳田氏。もともと格子は、平安期の寝殿造の空間を仕切る碁盤の目状の桟に板張りしたものを指していたようだが、通りに面した部位に必要とされたため、通風と採光を考慮しつつ防犯機能を保持する空隙の格子が誕生。室町時代の『洛中洛外図屏風』を見ると、このころには外と内を隔てるための格子が町家に広がりはじめ、桃山期の図では標準的に町家に配されていたことがわかる。この時代までの格子は、横板も太く、空隙のピッチが広い仕様であるため防犯機能だけが主な役割で、京の格子らしい繊細な機能は、江戸から明治時代にかけて備わるようになる。

京の人口の高密度化と 道具の発展で進化

戦国の世が終わりを告げ、比較的安定した時代を迎えると京の町家は定型化していく。「その背景には、間口税と権力に対する独特の智恵」があると徳田氏。間口を小さく、奥に長い“うなぎの寝床”にすることは、税金を少なくすると同時に、外見を慎ましく質素に見せる工夫でもあった。また、周辺地方から多くの人口が流入してきた時代でもあり、通りに面し隣家や向かいの家との間隔がほとんどなかった町家では、格子にある程度の目隠しと覗き穴の役割が必要とされた。物騒な物音がしたり不審な人物がいたりした場合、すぐに対処できなければ、商いや命の存続が心許ないからである。加えて、商いに必要不可欠な人とのコミュニケーションを成立させるために、格子には通りを通行する人には中が見えないが、立ち止まった人には中が見えることが求められるなど、京都独特のさまざまな事情と制約のもとで格子は多くの機能を託されることとなった。

また、道具の進歩も忘れてならない大きな要素。美に奉仕する道具とも呼ばれる台鉋 (だいかんな) の登場は、木の表面を精細に仕上げる技術に貢献した。格子の子 (横) を四角柱ではなく、通り側の面を屋内側よりも太い微妙な台形にすることで、外から中は見にくく、中から外が見やすくする技術など、繊細な手業を発達させる役割も担った。

内と外を隔て、つなげる 気づかいの文化が育んだ建具の原点、格子

求められる機能性と京の粋が、さらに格子の発展を後押し

角材の縦横の組み合わせをひとくくりに格子といっては、京格子のユニークさは見えてこない。「格子を見れば、商売がわかる」といわれるように、商いのジャンルとその商いに要求される機能性によって格子のデザインや形は形成されていく。例えば、米屋や酒屋では台格子と呼ばれる太く頑丈な幅広の荒格子が使われた。米俵や酒樽がぶつかっても破損しないようにするためで、90~105mm角の太い格子が造作に組み込まれた、取り外しができない頑丈なつくりであった。酒屋格子は紅殻が塗られ色付けされる一方、米屋格子は米の白いイメージを大切にし、鉋 (かんな) ・釿 (ちょうな) 掛けの素地仕上げで白木のまま。京格子の代表格である糸屋格子は、その名の通り、糸を商う店に使用され、親子格子と呼ばれるその形状は、親 (長い格子) と子 (短い切り子) の連続した規則性で成立。上部が切り子形状とされたのは、より多く光を屋内に取り入れることができるからだ。一本通し二本切り子は呉服屋、一本通し三本切り子は糸屋・紐屋、一本通し四本切り子なら織屋といったように、商いに必要な光の量を確保するために形状が工夫され、いつしかそれは商売を代弁するものになっていった。「都人は格子を見れば何屋かわかる。看板を出さずに営業中だけ暖簾を掛け、目立ちすぎることなく商う京都らしい商売の仕方に、格子が一役買っていた」と徳田氏は語る。

技を見せびらかすな 見えないところに技を使え

これは、徳田氏が考える京のものづくりの原点だ。株式会社トクダは、格子をはじめ京建具を手作業で作り続ける職人企業。京建具とは何か、という質問に徳田氏は決まって「何もない。強いて言えばありふれた建具」と答えるのだという。それは、見た目には何の変哲もないことが理由で、建物に組み入れられたときに初めてその真価が問われるから。設置される場所や空間の大きさ、使われ方によってわずかな細部を大切にする。京都には、ハレの祇園祭期間中だけ通りに面した格子を外す習慣があるが、普段は外すための継ぎ目がまったくわからない。スパッと切りそろえられた面に、高度な指物の技術で挿される部位は、挿し穴よりもごくわずかだけ大きく造られている。打ち込まれるだけでしっかりと固定され、年に一度必要なときに取り外しができる、そしてそれを何十年にもわたって継続できる高度な技術が、そこに集約される。

何を通して、何を遮るか。縦と横の連続性のみからなる格子は、必要とされる機能を最大化しながら、装飾性を排除したオーダーメイドな技術で発展を遂げてきた。最近の格子には高度な技が必要とされる機会が減ってきたというが、高密化する現代の都市生活において、視線の制御機能を有する格子の意匠は、日本のみならず、世界でも高く評価されている。

京都の格子ならではの工夫

日本三大祭りに数えられる祇園祭の宵山には、各家の通りに面する格子を外す風習がある。屏風祭とも呼ばれ、通りから町家の奥庭まで見通せるように開放し、秘蔵の屏風を飾る。京の建具大工は、年にたった一度のために格子を分割できる粋な技術を建具に込める。作り手と住まい手にしかわからない「継ぎ目」と「組み方」で、まるで他人には一枚の格子にしか見えない、京指物の技術が応用されている。

京都の格子ならではの工夫

継承される、ものづくり精神

長い年月にわたり使い続けることで、職人の手にピタリと寄り添う道具たち。写真は、真っ直ぐに印を付けるための定規の役割を果たす治具と、白柿と呼ばれる繊細な線をひくための刃物。鉛筆や墨では、太さにムラが生じ精度が落ちてしまうため株式会社トクダの職人たちは、毎日のように研ぎながら大切に使う。ちょうど和食の料理人が包丁を丁寧に扱うような感覚なのだという。「京の建具文化の特徴は、非装飾性にある」と徳田氏。それは控え目に生活をおくってきた文化的側面が影響しているが、その結果、より細かな技術が発展する高い精神性が育まれた。「外観は真似することができても、その中身 (精神) は、簡単に真似できるものではない」と静かに語る徳田氏の言葉に、脈々と積み重ねられてきた技への誇りが感じられた。

継承される、ものづくり精神

格子の種類と特徴 (一部紹介)

目板格子

見付幅は、7分~1寸。厚み2分ほどの目板を堅子 (縦) に使用し、細めの竪子をわずかな空きに配列した繊細な印象の格子。目隠し機能が高い。古いものは、表から太鼓鋲が打たれ、連続した規則性のある格子に独特の表情を与える。

目板格子

糸屋格子

上部まで通らず、一部が切れている竪子がある格子。上部まで通った親と切り子で構成される形状から、親子格子とも呼ばれる。目線のラインはピッチの細かい格子で、目線から上部が採光・通風のために工夫されている。一本、二本、三本と採光量を規定する子持ち数により、職種が分かれていた。

糸屋格子

台格子

幅広の格子が配されたもの。目隠し機能よりも、防犯機能や丈夫さが必要とされる町家に多く、上の上框 (がまち) と下の敷框 (がまち) に直接組み込まれている。搬入や搬出の際に多少ぶつけてもびくともしない強度を保つ。米屋の米屋格子、酒屋の酒屋格子が有名。

台格子