地域に生きるムラタ・ニュースリリース

チップインダクタ・EMIフィルタを含む巻線商品の分野で、質・量ともに世界のトップをめざす

登米村田製作所 [Tome Murata Manufacturing Co., Ltd.]

登米村田製作所 (以下当社) は、旧ハサマ村田製作所を前身としており、ハサマ村田製作所では、テレビの映像部品である「偏向ヨーク」・「フライバックトランス」という二つの巻線コイル商品を生産していた。当社は、「フライバックトランス」の生産に特化した事業所として1988年に設立された。その後、この商品を海外へ移管することになったことから、1998年に巻線タイプのチップインダクタの生産工場として再編成され、2000年1月より本格的に生産を開始し、現在に至っている。

チップインダクタの世界で最も難しいとされているのが微細巻線技術であり、品質とコストは、工程の完成度によって決定される。

従って、同業各社の中で優位に立つ最有力手段は、他社も苦しんでいる巻線技術を差別化することである。現在生産している最小サイズの製品は、直径20µm (髪の毛の約半分の太さ) の銅線を0.5×0.4mmの大きさのコアにコイル状に巻いて作られる。必要なインダクタンスを得るためには、巻き数、巻きピッチの制御、および電極との接合を確実に行う加工技術が必要である。これらを制御できる設備 (巻線機) と最適な状態を維持できる設備保全力に加え、材料においてもコア材質・形状、銅線の絶縁皮膜材質・厚みなどを最適化する応用力、そして、極細線の扱いと、商品の良否を顕微鏡で判断する作業者の卓越した技能など、当社はこうした巻線技術によって成り立っている。

後発でありながら短期間で巻線技術を向上させ、高いシェアが確保できている背景には、事業部と販売部門の拡売努力に加え、映像部品を生産していた時代から受け継がれてきた、巻線商品に関する確かな技術の蓄積があったということである。

当社のたゆまぬ巻線技術力の進歩は、ムラタグループの関係各社においても注目されており、工場視察に訪れる関係者の数は、生産を開始したころと比べて比較にならないほど、多くなっている。それは、会社として参考とされるまでに成長したという証でもあることから、関係者の来訪は、従業員にとっても良い刺激となっている。

同業他社を凌ぐコストパフォーマンス、供給力、納期、品質による高シェアの達成によって、チップインダクタにおけるマザー工場の地位を確立するとともに、現在ではその責任を担う海外工場への技術支援にも、積極的に取り組んでいる状況にある。

地域の責任の担い手として

当社は従業員の多くを、立地する地域に依存しており、地方企業にとっての地域は存立基盤であるとともに、共生的な関係にあるといえる。従って、企業としては、経営を維持継続し、雇用を創出し続けることが地域への最大の貢献となるわけだが、登米市における製造事業所の数は、ここ十年、下降の一途を辿っており、雇用人員数においては、3割も減少しているのが実状である。このような地域環境において、当社は雇用の面でも、大きな責任の一端を担っている。現在、当社において、製品の海外移管にともなう工場の再編成という厳しい時代を経験してきた従業員は、全従業員の半数にも満たないが、彼らの中には「会社を残したい」といった当時に抱いた熱い思いが根強く残っており、それが会社の風土となって、経験の浅い従業員に対して好ましい影響を与えている。このような中、当社では企業と地域の関係の重要性を従業員に改めて認識させるべく、数年前より、社内、社外それぞれを活動の場としたさまざまな取り組みを行っている。これは活動を通して、企業が地域と共生することの大切さを学び、「会社を次の世代へ繋げるためには」といった、仕事に対する考え方に、もう一つの視点を加えることを期待しているものである。この取り組みは、今後もメンバーを入れ替えながら、全従業員へ浸透するまで継続していく予定である。

山桜が咲き誇る里山づくり

企業における環境や社会に貢献するためのCSR活動の一環として、当社も「ムラタの森」森林保全活動を2010年6月から開始した。当社では、活動を行っていくにあたり、県の山林協働再生を支援する事業「みやぎ里山コモンズ・パートナーシップの森林づくり」を介して市内の森林組合と協定を締結しており、その協定面積は東京ドームの7.6倍を有する広大な面積となっている。これは県内で同様の協定を結んでいる各企業の中において、群を抜く広さである。実質的な活動に着手したのは、2011年に入ってからであり、これまで3年間で植栽した山桜の苗木の総数は、市が主催する「市民参加の新たな森づくり」において、地域の方々との協働で植林した「1,000本」を含めて、「2,800本」もの数となっている。森づくりは、森として形成されるまでに数十年もの長い年月が必要とされることから、一企業が永遠にかかわり続けることは不可能であり、将来的には地域の方々にこれを受け継いでいただく必要がある。当社の場合は、提携している市の森林組合の助力により、地域の方々との協働・共創の相互関係が円滑に機能していることから、森の行く末を心配する必要がなく、活動する上において大きな励みとなっている。当社の森林保全活動は、「自然の豊かさを持続的に次世代が享受できるように」との願いを込めた活動であることから、植林、下草の刈払の作業前には、その都度、森林組合の方から里山づくりの魅力と今後についてお話しをいただくようにしている。その内容は想像を掻き立てるものであり、野山一面に咲き誇る山桜の景色を想い描きながらの作業は、心地よい疲労感と普段の生活からでは得難い充実感を与えてくれる。里山づくりは社会貢献をテーマとした活動であるが、心身をリフレッシュする意味においても、とても有効な手段であり、これは参加者のだれしもが感じるところとなっている。

山桜が咲き誇る里山づくり

夢・大地 みんなが愛する水の里

登米市は、宮城県の北部、岩手との県境に位置した『夢・大地 みんなが愛する水の里』をキャッチフレーズとした町である。水が豊かなこの耕地の米は、江戸時代には「本国米」の名で幕府に献上していたこともあって、古くから米の名産地として知られている。また、当社が建つ迫町佐沼の一帯は、人と物の落ち合う場所として、長く文化の歴史を刻んできた。迫町のシンボルである「佐沼城 (鹿ヶ城) 」について、『伊達秘鑑』には「城のまわり川流れ水深く (中略) 誠に堅固な城」と記されるなど、要害の地である。そして、市内の東には、水鳥の飛来地として有名な「伊豆沼・内沼」があり、冬になると、たくさんの水鳥がシベリア方面からこの地をめざして飛んでくる。

佐沼城

桜の季節になると、多くの花見客で賑わう迫町佐沼の内町にある鹿ヶ城公園は、長い歴史を刻んできた佐沼城址の本丸・二ノ丸の一部が公園化されたものである。佐沼城は、平泉藤原家の家臣の照井太郎高直が、平安末期の文治年間 (1185~1190) に築いたとされ、城の鎮護を願って鹿を生き埋めにしたことから一名「鹿ヶ城」と呼ばれるようになったと伝えられている。この地は、奥州藤原氏が源頼朝によって滅ぼされた後は、幾多の歴史を経て伊達政宗が支配するようになった。天正19年 (1591年) 、佐沼城には伊達家重臣津田景康が入城し、7代まで150年の歴史を刻む。そして、津田氏改易後は亘理倫篤 (わたり のりあつ)が移って入り、以後、同氏が幕末まで居館とした。

佐沼城

伊豆沼・内沼

市内の東に位置する「伊豆沼・内沼」は、動植物の中でも、特に水鳥の生息地として全国に知られており、日本最大級の渡り鳥の越冬地である。1967年に「伊豆沼・内沼の鳥類およびその生息地」として国の天然記念物に指定され、その後1985年に国際的に重要な湿地を保全する「ラムサール条約」に、北海道の釧路湿原に続いて日本で2番目に登録された。

伊豆沼・内沼

2013年、2014年ムラタの世界記録ニュースリリース

2013年4月 超小型0402サイズで世界最大のインダクタンス値を実現! 高周波チップインダクタLQP02TNシリーズ インダクタンス値のラインアップ拡充
2013年5月 世界最薄! 4.7µF/16V品で0.55mmMaxを実現 積層セラミックコンデンサ1608サイズ (X5R特性) の低背品の商品化
世界初! 積層セラミックコンデンサ105℃・125℃保証の容量拡大品商品化に成功!
2013年6月 世界初! プリント基板設計変更不要! インターポーザ基板付き積層セラミックコンデンサ (ZRBシリーズ) の商品化
2013年7月 世界初! 積層セラミックコンデンサ2012サイズ狭ピッチ (2mm) エンボステーピング品の量産開始
2013年8月 世界初! 微量物質の簡単検出を実現マイクロメートルオーダー構造「金属メッシュデバイス」の開発
2013年9月 世界最小最薄! 低抵抗で高信頼性! 電気二重層キャパシタ (DMTシリーズ) の量産開始
世界最小! 5.4×4.4mmサイズのBluetooth® Smartモジュールの開発
世界初、世界最小チップフェライトビーズ0201サイズ (0.25×0.125mm) の開発
2014年2月 世界初! 360度全方位同感度での磁界検出可能! 3DセンシングAMRセンサの開発