論文紹介

高Q表面波素子 (IHP-SAW) を用いた高難度マルチプレクサ設計

髙井 努

原論文・発表媒体
Investigations on SAW quadplexer design with narrow duplex Bandwidth International Microwave Symposium IMS2016

近年、モバイル端末へのデータ通信の高速化の要求は増加し続けており、この要求は今後も増加すると予測される。キャリアアグリゲーションは高速化する通信市場のキーテクノロジーであり、このRFフロントエンド部で使用されるマルチプレクサは今後の通信市場には必須デバイスといえる。マルチプレクサにはSAWやBAWなどの弾性波フィルタが使用されており、このマルチプレクサの実現には従来よりも複雑な回路設計や高性能なフィルタ素子が必要となる。
本文では、マルチプレクサでも難度の高いBand25とBand4のクアッドプレクサを題材に特徴的な回路設計を紹介し、高Q表面波素子 (IHP-SAW) のデュプレクサでの実測結果とクアッドプレクサのシミュレーション結果を示す。

概要

高速化を続ける通信端末において、複数の周波数帯のRF信号を同時に運用し、1つの通信回線としてデータを分散し送受信することで高速化を実現するキャリアアグリゲーション (CA) は不可欠な技術となっている。このFDD-CAのRFフロントエンド部において、複数の周波数帯のRF信号を同時に分波するマルチプレクサはCAのキーデバイスであり、SAWやBAWなどの弾性波フィルタが使用されている。

これらの素子を用いたマルチプレクサの実現にはフィルタ素子を複数束ねる回路設計技術や、従来よりも高Qなフィルタ素子、通過帯域外の高反射特性をもつフィルタ素子が必要となる。

本文ではマルチプレクサでも難度の高い、広帯域かつ送受信間の周波数ギャップが狭ギャップな3GPP-周波数規格Band25とBand4のクアッドプレクサ (Band4 Tx: 1710-1755MHz Rx: 2110-2155MHz、Band25 Tx: 1850-1915MHz Rx: 1930-1995MHz) を題材に、マルチプレクサに適する複素共役結合を用いた回路構成を紹介し、次にムラタで開発した高Q表面波素子 (IHP-SAW) (図1) のデュプレクサの実測結果を、最後にクアッドプレクサのシミュレーション結果を示す。

図1. Band25DPXの外観写真

図1. Band25DPXの外観写真

マルチプレクサ回路設計の難しさ

FDD方式マルチプレクサでは複数の周波数帯のRF信号を同時に送受信するため、各周波数帯フィルタ素子のアンテナ側端子を1つに束ねた回路になる (図2) 。

図2. マルチプレクサクアッドプレクサ回路構成例

図2. マルチプレクサクアッドプレクサ回路構成例

このときアンテナ側からみたインピーダンス (Port1) は全通過周波数帯でマッチングがとれており、各素子側からみたインピーダンス (Port2~5) は各自周波数帯でマッチングがとれているよう調整する。一般に調整はアンテナ端側に設けるマッチング素子 (図2- (1) ~ (5) ) により実現するが、これらマッチング素子を変更するとPort1~5全特性が変動する。束ねるフィルタ素子数が少ないデュプレクサ (2) などの場合は簡易だが、トリプル (3) 、クアッド (4) 、ペンタ (5) 、ヘキサ (6) と束ねる素子数が増えると、考慮すべき相手側周波数帯が増え、回路設計が複雑になる。

マッチングデザイン

以下では上記問題を解決するマッチング方法をBand4-Band25クアッドプレクサを例にして記述する。

Band25のような送信 (Tx) と受信 (Rx) の周波数間隔が15MHzと狭く、相手帯を単純な容量とみなすことが難しい周波数の組合せが含まれる場合、素子のインピーダンス設計とマッチング手法には工夫が必要である。単純にLCやフェイズシフターなどのマッチング素子を増やす設計では素子数が増えマッチングロスが大きくなる。またこれら束ねるためのインピーダンス設計に重点を置き過ぎると、SAWフィルタ素子の設計制限にもなる。

以上の問題を解決する方法として、複素共役結合を用いたマルチプレクサのマッチング手法を提案する (図3) 。

図3. 複素共役結合を用いたマッチング手法

図3. 複素共役結合を用いたマッチング手法

以下、そのインピーダンスマッチングの設計コンセプトを示す。

  1. B4Tx、B25Tx、B4Rx素子それぞれのS11特性を、自身の周波数帯域を50Ω付近の容量性に、それ以外の周波数帯域をOPEN付近に配置する。
  2. B25Rxも自身の周波数帯域は50Ω付近の容量性に配置するが、これ以外の周波数帯域はSHORT付近に配置する (図3-a~d) 。
  3. B25Rxのみに直L (図2-④) を付与しインピーダンスを変換し、B25Rxのみを誘導性にインピーダンス変換する (図3-f) 。このときB4Tx、B25Tx、B4Rxの合成インピーダンス (図3-e) と、直L変換後のB25Rxのインピーダンス (図3-f) が、帯域内、帯域外のそれぞれがおよそ複素共役の関係になるように各Bandフィルタの設計調整をおこなう。
  4. これらB4Tx、B4Rx、B25Txの合成インピーダンス (図3-e) と、直Lによるインピーダンス変換後のB25Rx (図3-f) をアンテナ端で合成すると、B4Tx、B25Tx、B25Rx、B4Rx全ての合成インピーダンスのS11特性が、全Band周波数帯域で一点に集中する。
  5. 最後に4つの接点全てのマッチングをとるために、アンテナ端に小さい値の直L (図2-1) を付与し全周波数帯域を50Ωへマッチングする。

このように複素共役結合を用いたマッチングを用いることで、アンテナ側では全周波数帯でマッチングがとれた状態を維持しつつ、各素子側からは各周波数帯のみでマッチングがとれている状態を作ることができる。この手法を用いた回路例を図4に示す。

図4. Band25-Band4QPXのマッチング例

図4. Band25-Band4QPXのマッチング例

この手法により各素子のSAW設計には負荷なく設計でき、かつマッチング素子を最低限数に抑制することができる。この整合素子数の削減で全体の小形化とロス劣化の抑止も実現しており、複素共役結合を用いたマッチングは、マルチプレクサには有利な設計手法といえる。

SAW素子に求められる特性

キャリアアグリゲーション動作中の低消費電力および高感度受信のために、マルチプレクサ用フィルタの帯域内低ロス化は必須である。

一方で、自周波数以外の相手側帯減衰や反射特性も低消費電力、高感度受信には必須要件である。Band25-Band4クアッドプレクサを例に帯域内外に必要とされる通過特性、減衰特性、反射特性について記述する。

B25Txの通過特性 (S31) と反射特性 (S11) の例を図5に示す。良好なクアッドプレクサとしてのB25Tx特性を得るためにはB25Tx帯の低ロス特性が必須である。加えてB25Rx、B4Rx通過特性のためにB25TxでのB25Rx、B4Rx帯域外減衰特性が必要である (図5-a) 。

図5-a. QPXに必要なSAW素子 特性 (通過特性)

図5-a. QPXに必要なSAW素子特性 (通過特性)

一方、B25Txの反射特性 (図5-b) に注目すると、自素子の帯域外であり他素子の通過帯域であるB4Tx 、B25Rx 、B4Rx 周波数帯での反射特性にも注目する必要がある。B25Tx素子のこれら周波数帯での反射特性が十分でないと、B4Tx、B25Rx、B4Rxの各周波数でアンテナ側接点を経由しB25Tx素子にRF信号が漏洩する。つまりB25Txの反射特性の影響でB4Tx、B25Rx、B4Rx各々の通過特性 (S21、S41、S51) が劣化する。

図5-b. QPXに必要なSAW素子特性 (反射特性)

図5-b. QPXに必要なSAW素子特性 (反射特性)

以上よりマルチプレクサには良好な通過特性に加えて、相手帯の高減衰と高反射特性を有するフィルタ素子が必要である。

ムラタでは上記の帯域内が高Qかつ帯域外が高反射特性の要件を満たし、かつ低温度特性と高放熱を有する新SAW素子IHP-SAWを開発した。

高Q表面波素子 (IHP-SAW) を用いたデュプレクサ実測結果

まずはデュプレクサの実測特性を図6に示す。

TxとRx周波数間隔が15MHzと狭く設計難度が高いBand25においても、Txロス1.5dB、Rxロス2.1dBとTx、Rxともに低ロス特性を実現し (図6-a) 、帯域幅も十分確保できている。また帯域両側において温度特性も8ppm/℃以下と良好な低温度特性を有するため、-30℃~85℃の温度範囲でもTx: 1.7dB、Rx: 2.3dBと低ロスを実現している。

図6–a. Band25DPX通過特性 (dB)

図6–a. Band25DPX通過特性 (dB)

ISO特性もTx帯ISO: 57dB、Rx帯ISO: 59dBを確保し (図6-b) 、通過帯域内外において良好な実測特性を得ることができた。

図6–b. Band25DPX–ISO特性 (dB)

図6–b. Band25DPX–ISO特性 (dB)

加えてムラタの既存SAWとIHP-SAWの反射特性の差を示す (図7) 。IHP-SAWでは自周波数帯の帯域外において高反射特性が確保できている。これらの結果からデュプレクサだけではなくマルチプレクサに適した素子が開発できたといえる。

以上マルチプレクサに必要な高Qかつ帯域外の高反射特性の要件を満たし、かつ低温度特性を有する新SAW素子のデュプレクサ特性を説明した。

図7. Band25DPX反射特性 (dB)

図7. Band25DPX反射特性 (dB)

次にこの素子と複素共役回路を用いたマルチプレクサについてのシミュレーションの結果を示す。

高Q表面波素子 (IHP-SAW) を用いたクアッドプレクサSIM結果

デュプレクサの実験データから得た素子データと前述した複素共役回路を組み合わせ、Band25とBand4のクアッドプレクサの回路シミュレーションを実施した。結果を図8に示す。B25Tx、B25Rx、B4Tx、B4Rxそれぞれのロスレベルは2.4dB、2.8dB、2.0dB、2.5dBと低ロス特性を確認できた (図8-a) 。B4、B25のISO特性もTx帯およびRx帯ISOで60dB以下 (図8-b、d) 。バンド間クロスISOにおいても55dB以下の高ISO特性の目処を得た (図8-c) 。

図8–a. B25–B4QPX通過特性 (dB) 、図8–b. B25–B4QPX B25–ISO特性 (dB)

 図8–a. B25–B4QPX図通過特性 (dB)    図8–b. B25–B4QPX B25–ISO特性 (dB)

図8–c. B4QPX クロスISO特性 (dB) 、図8–d. B25–B4QPX B4-ISO特性 (dB)

 図8–c. B4QPX クロスISO特性 (dB)    図8–d. B25–B4QPX B4-ISO特性 (dB)

まとめ

近年のモバイル端末の高速化においてキャリアアグリゲーションは通信市場のキーテクノロジーであり、RFフロントエンド部で複数のフィルタを用いるキャリアアグリゲーション用マルチプレクサは今後の通信市場には必須技術といえる。

本文では、Tx~Rx間ギャップが狭ギャップなBand25と、Band4のクアッドプレクサを題材に、マルチプレクサに適する複素共役回路の設計手法について言及した。またマルチプレクサに必要とされる従来よりも高Qな素子かつ自身の帯域外周波数が高反射特性な素子を開発し、高Q表面波素子 (IHP-SAW) のデュプレクサの実測結果を示し、この素子を用いたクアッドプレクサのシミュレーション結果を示した。今後はHiBand帯へ展開する。

用語解説

マルチプレクサ

2つ以上の入力を1つの信号として出力するマルチフィルタ。

弾性波フィルタ

弾性波を利用したフィルタで、表面波を利用したSAWフィルタやバルク波を利用したBAWフィルタなどがある。

IHP-SAW (Incredible High Performance-SAW)

従来のSAWフィルタと比較して高Q、低TCF、高放熱の特徴をもつ。

FDD (Frequency Division Duplex)

使用する周波数帯域を送信用と受信用に分割し同時に送受信する方式。